科学者の自殺とは科学者の自殺とは「霊魂なんてない」という科学者は、科学者として失格です。 (私は、霊魂は存在する、とは主張しない。そこを研究すべき、と考える) なぜそういえるのか? 世界中の言語には、霊魂、魂、などという単語がある。 日本語にも六つくらいはある。 なぜそういった単語が世界中に存在するのだろうか? 失格科学者たちは、「それは願望であり、幻だ」と主張するだろう。 それは、完全に非科学的な反応であるといえる。 世の中には膨大な数の本や文献が存在する。 それらの一部を読んでも、霊魂が存在するとしないとおかしいな、という結論がどうしてもでてくる。 ほかにもそういった証拠・根拠になるものはいくつもある(このブログにも既述)。 科学者というのは、未知の対象を研究するということがその身上である。 研究もしないでいて、狭い了見で、霊魂なんてない、と主張するのは、科学者としての自殺である。 そんな自殺は見苦しく滑稽である。 歴史を振り返ってみても、新しい発見や発明がなされた場合それ以前は、そんなことはありえない、そんなことは不可能だ、と科学者たちが主張していたケースが多い。 ですから、少なくとも、「霊魂などに関しては、私にはわからない。そういったことは人類のこれからの研究課題である」という立場に立たないと、科学者というその肩書は汚される、というものでしょう。 |